「完璧な味」じゃなくていい。商品部での経験でわかった、家庭料理の愛おしい「ムラ」

昨日の味噌汁は完璧だったのに、今日の味はなんだか少し違う。

家庭のごはんの味って、毎日少しずつ変わりますよね。
「これでいいのかな」と、ふと自分の料理に自信がなくなってしまうことはありませんか。

私が以前、コンビニの食品開発に携わっていた頃、常に意識されていたのは、一つ一つの商品に込められた「コンセプト」でした。

ある商品は幅広い層に愛される味を、またある商品は特定の層に深く刺さる新しい味を目指します。
時には、誰も想像していなかったような、新たなマーケットを開拓する商品が生まれることも。

一方で、私たちが毎日作る家庭のごはんは、そのどちらとも違う場所にあります。

今回は、そんなコンビニでの経験を通して見えてきた、「計算された味」と「家庭の味」の本質的な違い
そして、私たちが作る日々の食事が持つ、かけがえのない価値についてお話しします。

「ブレない美味しさ」の裏側。コンビニの味作り

コンビニに並ぶすべての商品には、必ず「コンセプト」と「ターゲット」が存在します。

例えば、定番のお弁当やおにぎりは、多くの人にとっての「確実な美味しさ」を追求する商品です。
普通に作っても美味しくなる定番だからこそ、他との差別化のために原材料にこだわったり、製法を工夫したりと、より洗練された美味しさへと丁寧に近づけていきます。

頻繁にリニューアルが繰り返されるのも、その美味しさを常に進化させようという表れなのです。

一方で、期間限定のスイーツや、トレンドを意識した商品は、あえてターゲットを絞り、ニッチで尖った味を目指すこともあります。

いずれの場合も共通しているのは、その味が計算された味であるということ。

ターゲット層が好む味や食材、見た目などのデータを分析し、テスト販売や社内アンケートで結果を検証し、商品に反映させていくのです。

大ヒット商品を開発することも、もちろん大切です。
ですがそれ以上に、私がいた商品部が最も重視していたのは、定番も限定も問わず、すべての商品で「いつでも、どこで食べてもブレがない」という安定した品質を提供することでした。

それこそが、コンビニの食事が提供する大きな価値なのです。

わが家だけの「ちょうどいい」。家庭料理のさじ加減

一方で、家庭の料理はどうでしょうか。
食卓を囲むのは、夫と、年少の息子と、私。
たった3人です。

ここで求められるのは、「計算された味」ではなく、たった3人のための「ちょうどいい味」

コンビニの味が、緻密な「設計図」に沿って作られるとしたら、家庭の味は愛情という「さじ加減」でできています。

  • 夫の好きな、少し濃いめの味付けを足す。
  • 子どものためには、野菜をいつもより細かく刻んで、甘みを足す。
  • 私が疲れている日は、少しだけ手間を引いて、その分愛情を足す。

日によって、味が少し違う。
昨日よりしょっぱかったり、甘かったり。そんな「ムラ」があること。

それこそが、マニュアルのない、家庭料理の愛おしさなのだと思います。

私たちの「さじ加減」一つで、世界でたった一つの「わが家の味」が作られていくのです。

「正解」じゃなくても、それが「宝物」

緻密な設計図に基づいて作られる、コンビニの「計算された味」。
そして、愛情というさじ加減で毎日生まれる、家庭の「ちょうどいい味」。

どちらが優れているという話ではなく、私たちの暮らしには、どちらも欠かせない存在です。

疲れた日、時間がない日。
コンビニの食事は、心強いサポーターとして食卓を支えてくれます。

そして、家族の顔を思い浮かべながら作るごはんは、私たちの心と体を作る、何よりの土台になります。

完璧な「正解の味」を目指さなくても、大丈夫。
あなたが作る日々の、少しだけ味の違う「わが家の味」こそが、家族にとってかけがえのない宝物なのだと思います。

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